場を生むデザイン賞2023「優秀賞」を受賞された「花ちゃんちのおうちごはん」の花村叔子さんにお話を伺ってきました。

中登美団地について

奈良市西部にある中登美団地

コンセプトは「団地の食卓」、地域の人たちがくつろぎながら、会話とごはんを楽しむことができる「花ちゃんちのおうちごはん」は奈良市西部にある中登美団地のショッピングセンター内にあります。中登美団地は、昭和40年頃から開発された古い団地です。 甲子園球場約6個分の広い敷地に、130を超える住居棟が立ち並び、桜並木や多くの植栽で緑豊かな環境です。かつては多くの住民でにぎわい、夏祭りなどのイベントも行われていました。しかし、日本各地の団地と同様に、高齢化が進み、今では自治会も解散してしまっています。

「花ちゃんちのおうちごはん」のルーツ

「花ちゃんちのおうちごはん」のオーナーである花村淑子さん

花村さんは大阪府高槻市生まれの八尾市育ち、小学校6年生の時に、奈良市に引っ越してこられました。大阪で大学生活を過ごした後、奈良市役所に就職。

奈良市役所で携わられた仕事に、「花ちゃんちのおうちごはん」のルーツがあります。奈良市役所では、広報広聴課、観光課、障がい福祉課、市民税課などでの勤務を経て、商工労政課に配属されました。商工労政課で、商店街の振興策の一つとして、奈良市の施設であるマーチャントシードセンターの廃止に伴う運営方法の検討事業に携わることになりました。運営方法を検討する過程で、商店街の方々とのつながりができ、商店街の中でイベントを実施するようになりました。そのうち、公務員という立場を超えて、有志でイベントをすることもあり、地域に携わるという経験をされました。商工労政課で携わったもう一つの担当業務が産業振興を目的とした起業支援でした。起業にチャレンジする方を間近で見ることによって、起業することに対するハードルが下がってきたそうです。ですが、その時はまだ、自分が起業するとは考えておられませんでした。商工労政課の次に配属された長寿福祉課では、定年された方々と関わるようになり、孤独死などの実情を知ることによって、花村さんご自身がこれからの自分の時間をどのように使っていくべきかを考えるようになったそうです。

このまま公務員を続けるのもよいが、何かこれまでとは違う仕事をするとしたらと考えた時に、元々、興味のあった起業(『場』をつくる」取り組み)にチャレンジしてみようかなという気持ちが強くなってきたそうです。 これまでの経験から起業する際には、その『場』で何ができるのかがはっきりしていないと、人は集まってくれないことを痛感されていた花村さんは、長寿福祉課在籍時に日々の食事の問題を抱えている方が多くおられることを知った経験から自分一人で運営できる規模のご飯屋さんを起業することを決めました。

夢の実現に向けて

起業する場所は団地を選定されました。団地を選定された理由をお尋ねしたところ、花村さん自身がもともと団地に住んでおられたことがあり、歴史のある団地にはまだ独特のコミュニケーションの基礎がまだ残っていて、一緒の団地に住んでいることで緩い連帯感が生まれ、何かおもしろいお店ができるのではと考えるようになったとのことでした。

商工労政課での経験によって、『場』のデザインは、集客のために重要な要素だと考えていた花村さんは、空間デザインは奈良のことを熟知されている奈良在住のデザイナーさんに依頼すると決めておられたそうです。そんな時たまたま知人の墨アーティストであるイマタニタカコさん主催のお酒イベントでご主人である今谷秀和さんを紹介されました。そこで今谷さんが建築士であること、またかつて中登美団地に住んでおられたこと等をお聞きし、不思議な縁を感じてその場で設計をお願いすることとなりました。また、施工は、今谷さんから紹介のあった芳野(ほうの)崇さん、ロゴやショップカードの制作はグラッフィクデザイナーの小西景子さんと花村さんのイメージを具体化してくださるチームが揃ったことで、素晴らしい『場』つくりがスタートしました。

お店を作る上でこだわったところをお尋ねしました。お店の顔となる出入口について、高齢者の方が多く来られることを前提としていたのでバリアフリーは必須条件と考え、カートの使い勝手などを考慮した引き戸とされました。引き戸のイメージは高齢者の方が入りやすい雰囲気(昭和レトロ)ながら、若い世代の方々にも興味を持ってもらえるようなおしゃれ感も出したいと希望したところ、芳野さんが、イメージ通りの古民家の台所で利用されていた引き戸を保管しておられたので、それを利用されたそうです。また、店内の机・椅子の配置について、店内全体でお客さんどうしのコミュニケーションが取りやすいように、ベンチシートを採用されました。土日は、お店全体で大宴会になることもあるそうです。

高齢者に配慮した出入口の引戸
ベンチシートと座席の出入りに配慮したテーブル

花村さんの喜怒哀楽

開店以降の苦労された点、嬉しかった点について、お尋ねしました。

商工労政課での経験では店舗のオープン初日はお客さんの行列ができることが多かったので、多くの方の来店に備えて食材を購入されましたが、蓋を開けてみると初日のお客さんは数名だったそうです。「今でも当日の大量に余ったご飯はトラウマになっています。」と笑ってお話しいただきました。ですがそれ以来お客さんの口コミや、新聞・テレビで取り上げられたこともあり、団地の住民だけでなく、団地になつかしさを感じて車で遠方から来られる方など、徐々にお客さんが増えてきたそうです。お酒が進むと遠方から来られた方と団地の住民が団地の話題で交流が始まることもあるそうで、団地ならではのコミュニティーが生まれていると感じておられます。

お客さんとのコミュニケーションを通して当初はメニューに無かったアイスコーヒー、カレーライスなど、お客様のニーズに合わせてメニューを更新されています。 またショッピングセンター内の米酒店が閉店し買い物に不自由される方が増えたために、現在は店舗の一角でパンやお菓子などの物販を行っておられます。近日中に新たな物販店がオープンするとのことで、それまではお客さんのニーズに合わせて物販は継続したいとおっしゃっておられます。

物販コーナー

来客の見込みがたつようになってきたのは1周年を迎えた頃だそうです。リピーターが増え、来られるお客さんの顔が見えるようになり、支えてもらっているという感覚が生まれ、徐々に気持ちが楽にこられたそうです。今では旅行先のおみやげ、お客さんが育てた野菜などを持ってきてくれるお客さんが増えてきたそうで、ここを自分の居場所(テリトリー)と思ってくれることに喜びを感じておられます。今ではすっかり団地に欠かせない『場』となりました。当初、思い描いていたイメージと現在の状況についてお尋ねしたところ、体力的にしんどい日もあるが、皆さんにかわいがってもらい、思っていた通りのことができているとのこと。これからも、今の雰囲気を大切にしたい。とおっしゃっておられます。

店舗前の様子
取材当日のランチメニュー

今後の展望

今後の展望、目標について、お聞きしたところ、「今日もおいしかったわ。」だけではなくて、「今日も楽しかったわ。」と言ってもらえるような店にしたい。とのことでした。また、バスに乗って奈良公園など団地外に出かけることができない一人暮らしの高齢者が多いので、日常に刺激や華やぎを与えることができるようなイベントをしていきたいとのことでした。これまでも、燈花会を模して、お店の前にろうそくを灯したり、今後は店内で津軽三味線のコンサートを開催する予定だそうです。同じ団地内でもまだ、お店をご存じの無い方もおられるので、イベントを通して、新たな出会いができることを楽しみにしておられます。

燈花会を模したイベントの様子

間も無く、3年目を迎える「花ちゃんちのおうちごはん」。まだまだ、夢の途中。たくさんの方々に愛されながら、日々、頑張っておられます。

城田全嗣/デザイン賞部会