『場を生むデザイン賞2023』 「奨励賞」を受賞された廃墟映画館 東川(うのがわ)ノイマの向川智己さんにお話を伺ってきました。
廃墟映画館 東川(うのがわ)ノイマ 向川智己さん
廃墟映画館東川(うのがわ)ノイマの向川智己さんのご紹介。
1986年大阪府河内長野市生まれの38歳。大学卒業後、大阪府羽曳野市にある工務店で木造住宅の意匠設計だけではなく、現場監督補佐・大工さんとの打ち合わせなど、当時行った担当業務は多岐にわたったそうです。「もっと構造設計について勉強したい」との想いから、5年間の工務店勤務を経て、大阪市内にある構造設計事務所へ転職されました。その構造設計事務所では、一人で年間60棟ぐらいの物件を担当され、あまりのハードワークから「解放されたい」との想いと大学生時代から思い描いていた「独立」という夢が重なり、4~5年の勤務期間を経て、退職され、その後、地域おこし協力隊にも参加、仕事も独立され、現在へと至っておられます。
山村移住への憧れ
独立し、ハードワークから解放された向川さん。構造設計事務所勤務時代に思い描いていた夢、「どこかの山村に移住し、田舎暮らしをしたい」。その気持ちが日に日に強くなり、「それならば自分が理想とする田舎暮らしをしよう」と自分が理想とする“田舎暮らし”とはどのようなものかについて、一つ一つ整理されたそうです。
1つ目の理想は「祭りがあること」
2つ目の理想は「地域の方との交流ができること」
3つ目の理想は「スローライフを楽しむこと」
そして、地域おこし協力隊として現在のお住まいである、奈良県吉野郡川上村東川地区に移住することを決定されましたが、いざ移住してみるとその地区の人の少なさと当時コロナ禍の影響も重なり、地域の祭りも中止になり、せっかく“理想の田舎暮らし”をするために移住したのに、都会より人のつながりを感じることもできず、「理想と現実」というあまりにも高い壁にぶち当たり、悩まれたそうです。しかし、どこまでも前向きな向川さん。「自分はお酒好きなので、お酒を嗜む場を設け、こちらから人を呼び込もう!」とお考えになりました。
ノミニケーション
地域おこし協力隊として活動されていた向川さん。協力隊として、村に移住するだけではなく、地域を元気づけることが役目の一つでもあるので、その立場上、「自分が何をすべきか」を考えた時、「コロナ禍であっても、地域の人々が元気よく、過ごせる場があったらいいなー」との想いから、お酒を飲める場を思いつかれました。ですが、当時はコロナ禍真っ最中。屋内での飲酒は制限されていました。「それだったら、屋外なら誰にも文句は言われないだろう」と考え、屋外での飲み会を企画されました。しかし、ここでも様々な弊害が。一つは開催場所の問題。自分の住んでいない地域で開催しようとすると地元の区長さんや地主さんなどの許可が必要になってくることに気づかれます。二つ目は地域ごとの関係性も考慮にいれた順番の選定などが考えられ、「できるだけ手間を省いた方法で行なうことはできないか」との想いもあり、手詰まられたそうです。そんな中、「お酒を誰かと呑みたい」→①「自分が住んでいる集落はお酒を呑む人が少ない」→②「他の集落の人達とお酒を呑みたい」と問題点をひとつひとつ洗い出し、考えつかれたのが、車を活用した“移動酒場=出張酒場”でした。移動酒場を通じて、各地域の人々と交流を図る中で、「人々が集まる場を運営すれば、通り過ぎる車や人の目につくのでは?」→「他集落から移動酒場・映画上映などのオファーがくるのでは?」→「オファーが来る=①②の問題点も解消されるのでは?」と新たな考えが芽生え、移動酒場のプラットホーム(移動酒場を東川地区で行うための場所)としての廃墟映画館 東川(うのがわ)ノイマの誕生へとつながっていきます。
旧割り箸工場との出会い
取りかかられたプラットホームづくり。まずは、場所の選定から始められ、その条件として、なるべく労力をかけないことを念頭に探されたようですが、そんな中、たまたま自宅がある集落の端っこに割り箸工場として活用されていた建物があり、ご本人も以前から気にかけておられたそうです。しかし、長年放置されていたこともあり、外観は錆放題、内部は廃棄物が捨てられているなど、コンディション的に課題が多く、当時は建物全体に“陰”の雰囲気すら漂っていたそうです。
しかし、抜群のロケーションが気に入り、この場所に決定されました。その後、大家さんとの契約を済ませた後、内部の整理に取り掛かられました。廃屋を整理する中で、利用できるものは利用するとともに、有志の方々にお手伝いいただいたこともあり、当初考えていたよりも低コストで準備できたことが、向川さんが思い描いていた“遊びの実行”への更なる後押しとなったようです。
廃墟映画館 東川(うのがわ)ノイマ
“夢に実現”にむけて、進み出した向川さん。この廃墟を選んだ背景には空き家に興味を持たれた事がきっかけになったそうです。巷でよく耳にする「空き家問題」。この言葉に、ものすごく違和感を感じられたようで、「空き家の存在自体は決して悪くなく、その所有者であったり、地域住民であったり、現在の建築士にも責任があるのではないか」あるいは、「空き家の状態に価値を見出せていないことが問題の根底にあるのでは?」と疑問を持たれたことにより、「使い方次第では、まだまだ価値がある」ということを見える形で提示・具現化したのが、今回の“場を生む”きっかけになったと仰っておられました。この想いをベースとして、「建物はそのまま手を加えずに、廃墟のままでも価値が見いだせる」ことをコンセプトに、プラス「廃墟に捨てられていた物も使い方によっては、什器になりうる」ということを廃墟映画館を通して、価値観の見直しの提唱につなげ、こだわりを持って、このプロジェクトを進められました。
そうして誕生した「廃墟映画館 東川(うのがわ)ノイマ」現在は「移動酒場」と共に不定期で開催され、村役場インターンシップ大学生との交流会や他集落での出張映画館・移動酒場などを行っておられます。また、それらを行うことで、地元老人会からや、SNS上からの問い合わせなどがあり、地域での認知度も日に日に高まっているそうです。
※ノイマとは、元々は「東川シネマ」という映画館が時代・社会の変化の中、佇む間に風化によって、剥がれ落ち、「東川ノイマ」と化し、再び映画館として、地域コミュニティーの“イマ”を形造るという計画のもとに造られた造語で、「来場者の方々にあの空間を通して、言葉の意味を考えていただけたら」と仰っておられました。
常に楽しく!
地域おこし協力隊として、移住してきた向川さん。「地域を元気付けたいという使命感を持ってやっているのではなく、自分が楽しみたいからということを目的で行っている」。なるほど、自分が楽しめなければ、他人を楽しませたり、興味を持ってもらうことは難しい。この一言に色んな意味で納得させられました。
これからの展望をお伺いすると、「東川(うのがわ)ノイマ」については、「1日館長」として他の方を募集し、開催日の選定~企画~集客まで一貫して運営してもらうことを試験的に取り入れ始められたとのことで、現在、お知り合いの方に運営のお手伝いという形で来てもらっているそうです。「移動酒場」については、「自分が率先してやるつもりはないが、関わる余地があれば関わりたい」というスタンスで、「将来的にはマイクロバスを活用した方法で運営していければいいなー」と夢を語っておられました。
この2つの「場」と次から次へとアイディアが浮かんでくる「向川さん」。これらが今後どのように変化し、進化していかれるのか。様々な期待と想像を巡らせながら、初秋の吉野路を後にしました。
場を生むデザイン賞部会 坂本慎二