第1回場を生むデザイン賞「最優秀賞」を受賞された森のねんど研究所の岡本さん、倉原さんにお話を伺ってきました。

農家住宅の解体依頼と倉原猛さん

大和郡山市の東部、天理市との境界近くに井戸野と呼ばれるエリアが存在します。井戸野の環濠集落は平安時代には既に存在したと言われています。その環濠集落の中にある農家住宅の解体依頼がこの井戸野で建築業を営む倉原さんに舞い込みました。解体依頼のあった農家住宅は明治期に建てられたもので、牛舎、貯蔵庫、作業スペースなどを携えた職住一体型の暮らしぶりをそのまま今に残す建築物。その暮らしぶりを今に伝える重要度と都市計画法の関係で一度取り壊してしまうと簡単には再建築できないという実態を併せ持ちます。このような状況であっても、解体依頼があれば解体に向けて事が運ばれるのがこの業界の常です。しかし井戸野で育ち、井戸野で商いをしている倉原さんは容易に解体することに違和感を覚えます。解体の理由は単純で跡継ぎ不在。この農家住宅を買い取ってくれる人が見つかれば、もしくは利用してくれる人がみつかれば・・・建築業の枠組みを超えて、所有者に解体を思い留まってもらえるよう倉原さんは奮闘します。

人形作家岡本道康さん

岡本さんは学生時代からものづくりが好きで、将来は手を動かす仕事以外出来ないだろうと自己分析をしていたようです。1993年に商店街活性化・阿倍野SOHOアートプロジェクトに参加され、このときに2mの造形を製作したことがきかっけとなり人形作家としてデビューされました。とくに師匠を持たなかった岡本さんは自動車工場や建築模型会社、システムエンジニアの手伝いなどいろいろな経験を複合しながら歩んでこられたようですが、人形づくりに関しては人形の方から呼ばれて近づいたような感覚をお持ちのようです。岡本さんにとって人形づくり(アート)は「思い」を形にして「想い」が生まれ共有していくことだと語られました。岡本さんの興味はものづくりだけに留まりません。人形作家のデビューのきっかけとなった商店街活性化事業、奈良地域デザイン研究所での研究員活動、私のしごと館の活用事業など多岐にわたります。人々の小さな活動、そしてそれらとどのようなものを連動させるかという関係性の考察、ワークショップの開催など、一見人形作家とは無関係のように思われるものへの興味はなぜ生まれたのでしょうか?

環濠集落井戸野に新しい風

農家住宅の解体依頼から1年程が経ち、いよいよどうしたものかという雰囲気が漂い出したころ、岡本さんが新しい環境を求めていることを知った倉原さんはアプローチします。岡本さんはこの農家住宅にはじめて訪れた時のことを鮮明に覚えているようです。集落の道から門を開けると、土間、中庭、土間の一本の道がある。そして裏の扉を開けると川沿いの桜の木が現れる。父親の松江の本家に訪れた時、扉を開けると大きな海が目に飛び込んできた体験と呼応し、この農家住宅の持つ魅力にすぐに惹かれたそうです。

この農家住宅のある環濠集落についての文献はほとんどないようですが、自衛のための集落ではないかと言われているようです。また中ツ道に面したこの集落は宿場町としても栄えたようで、独立独歩の気風もあるようです。現在では実際に商いをしていなくとも、いまだにお互いのことを「豆腐屋!」「たばこ屋!」など屋号で呼び合う人たちもいらっしゃるようです。そんな結束の強い環濠集落にぽつんと置かれるという体験は普通ではできないと、不安を抱きながらも挑戦の志が岡本さんに芽生えました。環濠集落で人形作家として活動しながら、地域のことにも取り組める場所、そんな風に捉えたようです。このようにして岡本さんの井戸野での活動が決まりましたが、まずは環濠集落特有のコミュニティに受け入れてもらう必要があると考え、地元の人たちと仲良くなることから始めたようです。また井戸野の問題解決に取り組もうと集まった井戸野会議のメンバーとの意見交換も行いながら少しずつ井戸野に溶け込む歩みを実行されています。スマホのSNSでは無限の人たちと繋がることのできるコミュニティがある。一方で限られたエリアで限られた人たちとのコミュニティがある。人はこのような多岐にわたるコミュニティをうまく取捨選択しているのか、それとも流れに身を任せているのか? 地域活動に取り組む人形作家岡本さんと地元に新しい風を取り入れ価値を高めたいと活動する倉原さんがこの井戸野という場で巡り会う。運命的だけでは説明のつかない不思議さを感じます。人の活動にエネルギーがあるのは当然かもしれませんが、そのエネルギーには磁力みたいなものも存在し、巡り会うべきものが巡り会うのかもしれません。

今を活かす

「身近なものを生かし自分自身が活かされる」

「身近なものを活かすことで自分自身が生かされる」

「生かし活かされる」

「今あるものを生かし活かされる」

「今を活かす」が森のねんど研究所の基本コンセプトだそうです。明治期に建てられた農家住宅はけっしてきれいな状態だとは言えません。しかし木造の架構、土壁、通り土間の三和土などは現在において簡単には再現できない工法。なによりも長い年月を経験して多くのメモリーを刻んだこの農家住宅の再現は不可能だと言えます。この状態を活かしつつ、心地よい空間、安全な空間にしたいと考えておられます。その手法として検討されているのが森のねんど。割りばしをつくるときに生じる木くずを利用した森のねんどを現在の技術と融合させて新しい建材を開発していくことを検討されています。異素材感のない材料で補修・補強していくことはまさに「今を活かす」といえます。ここまでは農家住宅の物体としての「今を活かす」。 これだけではなく農家住宅が潜在的に持っている価値としての「今を活かす」も模索されています。森のねんど研究所での直近の活動として「お話を聞く会」を計画されているようです。森のねんど研究所のある農家住宅のオーナーを囲んで、井戸野の歴史のことや、幼かったころの思い出話を聞くというイベント。まずは井戸野のうち側の人たちが井戸野のことや井戸野の人たちのことを知ることからはじめて、うち側からまとまっていこうという試みです。そして今の井戸野のメモリーをなにかしらのカタチでアーカイブすることを模索されています。過去を振り返る博物館ではなく、今を残す博物館すなわち「生きた博物館」をこの森のねんど研究所で実現させたい。集落のメモリーを残すことで、集落の価値を高めたい。集落の人々が誇りに思えるきっかけとなりたい。森のねんど研究所としてやらなければならないことは固まりつつあるように感じました。そんな中、岡本さんは人形で井戸野のメモリーを表現したいと考えておられます。岡本さんの人形には多くのファンがおられます。私もその一人になりましたが、そのきっかけは岡本さんがつくる人形の表情です。少年や少女、おじいさんやおばあさんの表情がなんともいえない表情をしているのです。しわくちゃになって笑っている顔や一点を見つめている表情、少し不貞腐れている表情など。会ったことがあるようで会ったことがない。存在しているようで存在していない。そのような錯覚を感じる人形たち。そんな人形たちで構成される井戸野のメモリーは井戸野の人たちだけでなく多くの人たちのメモリーにシンクロするような気がします。「生きた博物館」は井戸野と森のねんど研究所の人たち、井戸野会議の人たち、そして井戸野の人たちみんなでつくりだす博物館にしたいと考えておられます。

巽浩典/デザイン賞部会