第1回場を生むデザイン賞「奨励賞」を受賞された奈良カエデの郷ひららの徳田さんにお話を伺ってきました。

奈良カエデの郷ひららがオープンするまで

奈良カエデの郷ひらら

世界のカエデを満喫できる「奈良カエデの郷ひらら」は、奈良県の東北部、大和高原に位置する宇陀市菟田野で運営されています。今回は「奈良カエデの郷ひらら」がオープンするまでのストーリーをご紹介します。2005年、料理写真家の矢野正善さんが収集してこられた約1200種、3000本の世界のカエデを旧菟田野町に寄贈されました。2006年、宇陀郡の大宇陀町・菟田野町・榛原町・室生村の4町村の合併により宇陀市が誕生。カエデは宇陀市に引き継がれます。宇陀市誕生の年に菟田野エリアの中心地である菟田野古市場に位置する宇太小学校が廃校。その後、宇太小学校の運動場がカエデ公園として選定され、寄贈されたカエデの植栽が行われました。そして、2010年、カエデの管理を行うことを目的として地元有志で立ち上げたNPO法人「宇陀カエデの郷づくり」が誕生します。それらの動きと同じくして廃校となった宇太小学校の校舎の取り壊しの計画も進みます。宇太小学校の木造校舎は1935年の建物で「戦前の木造校舎で宇太小学校ほど良好な状態で残っているものはない」と言われ、昭和前期の小学校の姿を今に残す貴重な建物と評価されていました。また地元住民の愛着も強く、「取り壊されたくない」という声も上がります。そこで、NPO法人「宇陀カエデの郷づくり」が宇陀市より木造校舎を譲り受け、カエデと木造校舎で地域活性化を推し進めていこうと2013年に「奈良カエデの郷ひらら」がオープンします。

奈良カエデの郷ひらら周辺の航空写真

カエデを愛した写真家 矢野正善さん

カエデの管理を行う矢野正善さん

旧菟田野町にカエデを寄贈した矢野正善さんは1935年生まれで現在87歳。矢野さんは大和路の風景、仏像、行事などの写真を撮り、高い評価を受けた奈良県出身の写真家入江泰吉の内弟子として写真を学ばれました。その後、多数の一流料理人の料理を撮影し活躍された料理写真家です。そんな矢野さんは師匠入江泰吉邸で住み込みのお手伝いをしていたある女性からカエデの苗木を譲り受けたときからカエデに魅了されます。そして矢野さんと同じくカエデに心を寄せた江戸の園芸家・染井伊兵衛によって著された「古歌仙紅葉集」を片手にカエデを求めて野山を歩き、独学で研究されたそうです。当時、矢野さんはお医者さんの別荘を借りて奈良市内に居住されていました。広大な庭はカエデを集めるのに適した環境でしたが、そんな広大な庭もカエデを愛する矢野さんの収集心には耐えきれず手狭となりはじめます。あふれんばかりになったカエデの姿をみて、カエデはもっとのびのびと生きるべきではないかと考えるようになり、これらのカエデをもっと広い敷地で大切に育ててくれる譲渡先を探す決心をされます。そして旧菟田野町と矢野さんが巡り会ったわけです。矢野さんはカエデを寄贈した同時期に写真家を引退し、菟田野に移住されました。現在は、「奈良カエデの郷ひらら」にて、カエデの栽培、管理指導者として活動を行っておられます。矢野さんは自分の愛したカエデがこの「奈良カエデの郷ひらら」でのびのびと育っている様子、そしてカエデを楽しむために、多くの人々が足を運んでおられる今の状況を大変喜んでいるご様子でした。

奈良カエデの郷ひらら事務局長 徳田準一さんの奮闘

国の半数近くの市町村が過疎化に悩まされている中、当時の宇陀市も例外ではありませんでした。写真家の矢野正善さんより寄贈されたカエデを軸にして地域を活性化していくことが決まり、地元有志のメンバーはそのカエデを管理する組織としてNPO法人を立ち上げるようと考えます。しかし地元有志のメンバーは法人立ち上げの事務処理に慣れていませんでした。それをボランティアとして手伝ったのが当時、宇陀市役所で公務員として勤務されていた徳田準一さんでした。NPO法人立ち上げまでがお手伝いできる範囲だと考えていた徳田さんでしたが、NPO法人が宇陀市より宇太小学校の校舎を譲渡を受け、「奈良カエデの郷ひらら」としてオープンを目前に控えた時に初代事務局長になるはずの方が外れることになります。当時の理事長に事務局長を引き受けてほしいとお願いされた徳田さんは当時56歳。悩みに悩んだ徳田さんでしたが、引き受ける以上は中途半端に引き受けるわけにはいかないと宇陀市役所を早期退職することを決心します。そのときから「奈良カエデの郷ひらら」事務局長徳田準一さんの奮闘はスタートします。 最初に注力したことは「奈良カエデの郷ひらら」の名前を売ること。多くの人々が集まる24時間テレビや奈良マラソンの会場に足を運び、「奈良カエデの郷ひらら」のチラシを配布したそうです。地道な活動でしたが、それらが実を結び奈良県内のFMラジオや奈良テレビを皮切りにNHK、関テレ、朝日放送など、様々なメディアからの取材を受け、徐々に知名度を高めいきます。またインバウンド効果も後押しします。当時、観光客が訪れるのは奈良公園周辺だけ。海外の方に喜んでもらえるよう着付けやお茶、習字といった日本文化の体験ができる企画を考えます。更には奈良県観光局やインバウンドの企画会社に働きかけ、観光ツアーのルートに宇陀市エリアを組み込んでもらえるよう交渉します。その結果、東京、富士山、トヨタ、「奈良カエデの郷ひらら」、奈良市内、京都を巡るルートを確立できたようです。インバウンドの受入だけでなく、木造校舎現代美術館(WSMA)、寄席、カエデ柄着物ファッションショー、コスプレイベントなどの企画を通して、老若男女を問わず多様な人々が「奈良カエデの郷ひらら」を訪れるようになりました。また、外部の方々だけでなく、バンドライブなど地元住民の発表の場としても活用されているそうです。徳田さんは「オープン当初から現在までとにかく無我夢中でやってきた。」とお話しされます。「奈良カエデの郷ひらら」という名の由来をお聞きしたところ、カエデの葉が赤ん坊の手の「ひら」に似ていることとカエデの葉が「ひらひら」と舞っていることを思い描いた穏やかな名であると教えて頂きました。徳田さんの奮闘は決して穏やかなものではありませんが、取材当日も多くの観光客がカエデや木造校舎を見て心を穏やかにしている様子は徳田さんの奮闘に支えられていると、しみじみと感じました。

カフェも切り盛りする徳田準一さん

今後の奈良カエデの郷ひららは・・・

「奈良カエデの郷ひらら」のコンセプトは「やすらぎ・ノスタルジー(哀愁)・学び・交流」。カエデ公園の自然を見て心にやすらぎを持ってもらいたい。木造校舎の小学校を見て、昔を懐かしんでもらいたい。日本文化の体験を通して学んでもらいたい。外国人との交流や地域住民の交流を生み出したいという願いが込められているとのことでした。 「奈良カエデの郷ひらら」では、ゲストハウス、CAFÉ、お土産コーナー、カエデ直売所、教室利用などいろいろなサービスが展開され、それぞれにお仕事があります。今後は収益を安定させて、地域の若い人たちが菟田野からわざわざ出なくても仕事の出来る環境をつくっていきたいとお話しされました。そのためには、今以上に全国から「奈良カエデの郷ひらら」に足を運んでもらえるように展開していきたいと考えておられます。まさに地域活性化の原点であり、最も難しいことに取り組もうとされています。徳田さんの奮闘はしばらく続きそうですが、多くの人々が訪れている光景を見ていると、そんな日はそれほど遠くないのでは・・・と思わずにはいられませんでした。

紅葉と木造校舎
生徒の声が聞こえてきそうな廊下
今はひっそりとした教室

巽浩典/デザイン賞部会