第1回場を生むデザイン賞「優秀賞」を受賞されたゲストハウス三奇楼・三奇楼デッキの下の南さんにお話を伺ってきました。
空き家への関心
春には豪華絢爛な桜が目前一杯に咲き乱れ、人々を魅了する吉野山。桜の名所、吉野の中心地である吉野町上市は伊勢南街道が通り、吉野杉の水運となっていた吉野川の中間地点として、かつてのにぎわいの拠点でした。その伊勢南街道と吉野川に挟まれた場所に三奇楼は存在し、ゲストハウスや移住体験スペースを運営されています。三奇楼のオーナーである南達人さんは生まれも育ちも吉野町上市で、南工務店の2代目社長を本業とされています。大学で建築を学び、一旦は吉野を離れますが、父親の思いを引き継ぎ、吉野町に戻ったのが阪神大震災の年。その後、地域の工務店として建築業を勤しんでいる傍ら、増えつつある空き家の存在を気に掛けていたそうです。
三奇楼との出会い
そんな時、空き家となっていた三奇楼の元オーナーより台風で傷んだ樋の修繕依頼が舞い込んで来ました。元オーナーから空き家の維持管理の大変さやその空き家を手放すことも視野に入れていることを聞いた南さんは後日、三奇楼を売ってくれないかという手紙を書いたそうです。工務店として地域に貢献できることって何だろう?新しい建物の建設には携わってきたが、地域に点在する空き家はこのままで良いのだろうか?と考えていた南さんは空き家の利活用に着目したそうです。ただ、その方法について明確なイメージができていなかった南さんは人に勧める前にまずは自分ではじめてみようと三奇楼の購入を決意されました。現在の三奇楼のある場所には4階建ての料亭旅館が建っていたそうで、当時は旅人や木材を運搬する筏師の疲れを癒す宿として利用されていたそうです。その料亭旅館の名前が三奇楼。その後その料亭旅館は、元オーナー一家のための住居へと建替えされました。その住居が今の三奇楼ですが、住居としては立派な建具などは料亭旅館の一部を再利用されたのではないかと言われています。
チームの立ち上げと過去の思い出
三奇楼を手にした南さんの元にはたくさんの仲間が集まりました。そのメンバーは仕出屋さん、庭師さん、WEBデザイナー、地域おこし協力隊OG(現在はねじまき堂として活躍中)、商工会OB、若手役場職員などなど個性豊か。そして偶然的な出会いから近畿大学の学生も仲間入りしました。「上市まちづくりの会リターンズ」の誕生です。なぜリターンズか?2000年頃から上市に賑わいを取り戻そうと活動していたのが、「上市まちづくりの会」でした。当時リーダーを務めたのが今回のリターンズのメンバーでもある仕出し屋さん。伝説的なイベントとなった「レトロタウン上市」の開催や「上市まちやサロン」の運営など、先見の明を持ち合わせたリーダーを中心に上市を変えていきたいと願う若者たちで奮闘した日々だったようです。しかし、いろいろな事情が重なりその活動は休止してしまいます。まちを変えていくことの難しさをこのときに痛感した南さんでしたが、三奇楼を手にしたことをきっかけに再び、上市まちづくりの会を復活させようと考えたようです。
上市まちづくりの会リターンズのメンバーや近畿大学の学生も関わりどのような場として仕上げていくかの知恵を出し合いました。やれることを少しずつ、地に足をつけて取り組むことを心掛けたようです。 南さんが取得された当時の三奇楼は、屋根は落ちている、蛇口をひねると茶色の水しか出ない、浄化槽は詰まっていてトイレは使用できないと酷い状態だったようです。当然工務店を営む南さんはそれらを承知の上で購入されましたが、これが空き家のリアルな現状なのかもしれません。しかし上市まちづくりの会リターンズのメンバーで話し合いながら、母屋をゲストハウス、蔵をカフェやバー、離れを移住体験スペースに活用していこうと決め、少しずつ課題を解決していったようです。三奇楼の母屋からも離れからも吉野川と吉野の山々が見渡せます。よりその吉野川と吉野の山々に近づこうと離れの屋根の上に展望デッキを設置しました。料亭旅館だった時の三奇楼にも屋上デッキがあったようで、いつの時代も人は雄大な自然を謳歌したいと考えるようです。
空き家活用のシステム
旅人とシゴトを結びつける㈱SAGOJOが展開するTENJIKU吉野や㈱ADDressが展開する定額全国住み放題のシステムが三奇楼デッキの下の移住体験スペースで実施されています。いずれも新しいライフスタイルを提供するものですが、地方の価値や人の生き方の可能性を探ることのできるとても興味深い取り組みです。吉野町には定住促進事業として地域受入協議会(住んでよしの)というものがあり、ワンストップで移住や定住を考えている方々をサポートし、事前にいろいろな情報を巡り合わせるつなぎ役を担っています。また空き家コンシェルジュ(=吉野町上市移住定住促進センター)が空き家の登録や紹介を行っています。これらにも三奇楼は関わっておられるのですが、地域に貢献しようと空き家の利活用に踏み出した南さんの確かな一歩が様々な地方の取り組みの後押ししていることは間違いありません。
最終ミッション
三奇楼を営みはじめてうれしかったことは宿泊業をしていると笑顔で戻ってきてくれるお客様との出会いがあることと語られました。三奇楼を営むまでは味わえていない新しい感覚。三奇楼のロゴマークにはツバメが3匹舞っています。三奇楼をはじめた時に密かに思い描いていた姿が叶っているようです。
全国各地から三奇楼へお越しになるお客様の姿に刺激を受け、最近では南さん自身も吉野から出て新しい体験をしてみたいと思うようになったそうです。そして南さんの密かな最終ミッションは同じような思いを持っている次の世代の方に三奇楼のバトンを引き継ぐことだそうです。南さんが今まで体験されてきたことが自然とそのような考え方に向かわせているのかもしれませんが、今の三奇楼を点で終わらせるのではなく線となり、自由な弧を描きながら歩み続ける三奇楼の姿を思い描いているようです。
巽浩典/デザイン賞部会